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ブログ名

飽きたら消します

楽に草冠をつける、まさに薬、奇すしき力。

思うこと

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薬物依存、自己判断だがおそらく自分はこれに値する。

誰かに聞いてほしい、しかし堂々ということでもない。相談するほどの話でもない。そんな時にどういう伝え方をすればいいのか。このブログに壁打ちする、この方法が一番自分には合っていると思う。現実で言えば宙を見ながら独り言をいうような伝え方だけれど、誰にも見られないのは嫌で注目を浴びるのも嫌という自分にはちょうどいい。

見ての通りほんとうに自分は痛々しい奴だ。16にもなってまともな人間になれなくて、そのくせ考えだけは変に頑固で、一言で言えば馬鹿。本当に本当にどうしようもない馬鹿。

昨日オーバードーズをした。もう慣れたことで、あまり驚くべきことではないのだがとてつもない限界を感じた。おそらく過去最高の錠数を飲んだと思う。記憶はぽっかり抜けているが「レスタミン60錠」と「エスエスブロン60錠」が二つとも空になっていた、その程度だ。

今までに、ひとまずそれっぽいことはしてきた。個人輸入、スニッフ、病院はしご、市販薬。さすがに直腸や注射、ハーブやガンジャは怖くて手が出なかった。中途半端で自分でもどう扱っていいのかがわからない。今思えば全ての始まりは「マイスリー」を飲んだ後に中途覚醒したあの夜だった。たった1錠、薬についての知識なんてロクにない。飲んだら寝れるもの、という程度の認識だった。

去年の9月くらいだろうか。いつものように眠剤として飲んで布団に入った。あっさり寝れる。数時間後だろうか、唐突に目が覚める。いつもの中途覚醒かと思ったら、幻覚が見えた。すぐそばにあるカーテンの柄がうねうね動いて、まるで生き物に見えた。この時はまだ「面白い」という感情よりも「怖い」という感情の方が大きかったから、すぐに目をつぶって二度寝をした。そしていつもの朝を迎える。

そのうち、この薬を飲んで無理やり起きていると幻覚や浮遊感が楽しめる、という事に気がついた。初めの方は真面目に幻覚に悩んでいて、Googleにて「マイスリー 副作用」などと調べるだけで終わっていた。ところがそれがきっかけで2chのメンタルヘルス板にて「マイスリーでラリラリ」というスレが立っているのを発見してしまった。へぇ、この薬は娯楽のために使われるものなのか、怖いな。変な人もいるんだな。くらいに思っていた。いずれ自分がそっち側になるとも知らずに。「過剰服薬」と聞いて「異常だ」と思える感覚を持っている人は、その感覚を絶対に失ってはいけない。人間として生きていく上で正常な判断を持つことは大事で「過剰服薬」への恐れがなくなると文字通り人間を卒業してしまう事になる。それは社会や信頼といった道徳的なものから、感覚や生活といった基本的なものまでとにかく様々だ。見るもの全てが薬に繋がってくる。こんな風になったら、いろんな意味で終わりは近いだろう。

薬の何が怖いかというと、服薬しているうちに初心を忘れてどんどん数が増えていく所だ。薬物依存と言えば、誰もが一度は聞いたことがあるだろう。確かはじめに手を出したのは、平日の昼下がりだった。「してはいけない事をしている」と思いながら、ブルブルと震える手で眠剤を流し込んだ。1錠。もちろん寝るために飲んだのではない。現実から逃れるために飲んだ。背徳感と「こんなことをしていてもいずれ目が覚める、無駄だ」と思っていたのは効用が現れるまでの10分間。

世界が変わった。

脳内に終日こびり着いていた「死」が取り除かれ、草原で日向ぼっこをしているような暖かい多幸感。「マッタリ」と呼ばれる効果が現れる。神経が抑制されるのだ。歩けばフラフラと宙を漂うような気分になり、まさに夢と現実の間にいるようだった。世の中にこんな代物があるのかと。寝たきりで引きこもりの自分には、虜になることに理由などいらなかった。正直、まだ反省してないと思われるかもしれないけれどこの感覚は薬でしか絶対に味わえない物だ。DXMなどでいう「心の目」だとか、すなわち第六感みたいなもの。だからこそ「絶対にしてはいけない」とも言えるし「一生に一度は味わって欲しい」とも言える。自分は弱い、という自覚がある人ならばやらない方がいい。多分9割くらいの人が飲まれると思う。薬を飲んでるのはこっち側なのにね。

自分はずっと「異常」になりたかった。人前で暴れる程の勇気もなく、どんなに辛くても終始ニコニコしながら平気を主張する。辛かった。まるで拗らせた若者のようだし、実際拗らせた若者だから言うが、毎日「いっそ狂いたい、壊れたい。無意識に人を殴ってしまえるくらいに可笑しくなりたい」と思っていた。電車の中でブツブツと独り言を唱えてる人をうらやましいとすら感じていたし、次第にみんなが自分を見ているような気がして、外に出れなくなった。しかし、そう簡単に人間は変われない。ふつふつと煮えかけた鍋のような、極端な話、死ぬか殺すかみたいな。そんなかんじだった。何もない人生。どうせ栄光を語れるような、歴史に名を残すことすらできない無力な人間。そんな人間が、生きる価値などどこにあろうか。逃げたい、誰も自分を知らない土地、遠い場所に行きたい。人生を一からやり直したい。極論「現実逃避」である。

それら全てを叶えてくれるひみつ道具が、薬だった。これ、簡単に言うと「理性」が吹っ飛ぶのだ。普段私たちが日常生活を送る上で保っているものが「理性」で、あれは犯罪だからしてはいけない、これをしたら嫌われるからしない、本当はやりたいけどやらない。人間的なルールだとか道徳とか、大抵の人は無意識に保っているものだろう。欲求があって、理性があって、本能がある。普段は理性に包まれた本能の心を持っている所が、理性のベールが剥がれて本能がむき出しになる。深層心理の欲求が、そのまま現れる。だから日頃は「何か食べたいけど、歯を磨いたから明日食べよう!」と思っていても、薬を飲んだらその場で食べる。まさに猿。人間の姿をした獣に成り下がる。下手したら殺人とか窃盗とか、そっちに繋がる危険だってある。僕は実際、一度飲んだ後にフラフラと近隣のスーパーへ歩いて行き、万引きをした…ことはないが「万引きをするかもしれない」という変なバットトリップに入ったことがある。人間、清原になるのは勝手だがどうか外には出ないでほしい。

特にこの「マイスリー」と言う薬は、娯楽目的で飲むと食欲が増すことで知られていて、これはどこかで聞いたうろ覚えの話だが、弄ぶと「脳は起きているが、海馬は眠っている」と言うへんてこりんな状態に陥るらしい。だから、いわゆる「健忘」が起きるのだとか。飲んだ後にフライパンでパンケーキを作ったりだとか、極寒の中全裸でベランダで寝てたりだとか、ベットの上で飛び跳ねながらじゃがりこをシェイクするだとか、もう書いているだけでハチャメチャなことが起きる。ところが、全て記憶にない。よく覚せい剤などで殺人を犯した犯人の供述で「記憶にございません」だとか耳にするが、マイスリーを飲んで健忘を起こすと、なんとなく共感できてしまう。それくらい怖いし、業界では「小人の仕業」と呼ばれるくらいの、変な話別人格みたいなのが出来上がってしまうのだ。

話を戻そう。薬というもの、ハマってからは早い。増える増える服薬量、耐性も付く。2錠、3錠と増えて行き、だんだんと何も感じなくなってくる。処方される量じゃ足りない、二軒目を掛け持ちして、市販されている別の薬、個人輸入でさらに別の薬、10錠程度じゃなんとも思わない。言わずとも実家暮らしだから、母親にラリラリな姿を見られて全部没収される。元々不仲なのもあってか逆上、ムキになってさらに執着する。眼鏡屋で見かけるコンタクトのパッケージが、薬に見えてくる。頭がぼんやりして、思考に霧がかかったような日が増える。

ここまで、さも壮絶で入院レベルであろうことを書いてきたが、実はそうでもない。自分は、幸いにもまだ「軽度」な部類に入る。だから離脱症状だとかアカシジアみたいなことにはならないし、二日、三日くらいの区間を設けている状態だ。

医者にも言わない。本当は言わなくてはならないと思う。もし言ったら入院になるかもしれないけど、もう親に自分のためにお金を使わせたくはないし黙っている。そのうち日常生活の方が大事になってきて、薬に執着する暇なんてなくなるんだろう。それか当たりどころが悪くてポックリ逝ってしまえればそれもいいかもなんて思ってる。ちょっと昨日は本当に救急車ものだったけど、1日横になって潰してたら口渇程度で治ったし、多分市販薬と個人輸入の薬と処方薬全部合わせて50前後?くらい飲んだと思う。正確な数字はわからない。それでも何故か、普通にブログ執筆しているし、今日も元気だし、変な話「最悪の場合は薬で逃避できる」とポジティブになった部分もある。

まぁそんな感じでいいんじゃないかな。本当に限界を見たら、さすがに自首するし自供するつもりでいる。

3600文字の中で何が言いたいかっていうと「レスタミンOD」、あれだけはやめておこう。この歳になってまで、おしっこ漏らした(漏らしかけたとも言える)。

 

 

 

 

 

コーヒーカップの淵には赤い口紅がついていた

ぼくポエムよむのだぁいすき。どうも僕です。

ところでこのブログちらほらと訪問者様がいらっしゃるのですがこんな便所のらくがき以下の駄文を誰が見ようというのでしょうか。ともかくありがとうございます。好き!高校生ですが良かったらお茶しましょう!

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そういえば今月は2度もオオサカに行ってまいりました。めちゃめちゃ楽しかったので特に描くことありません。楽しかったです。

 

話は切り替わりSNSとやらを再開した。元々僕はTwitterやらでフォロワー3桁くらいの絵師をやっていたのだ。マニアックな界隈だったがふぁぼも200以上もらったりして、ちょっとすごいでしょ?うん、自慢です。ネトストやらマウント勢やらに執着されて嫌気がさしたことで去年の11月頃に無言で垢爆破を決行、それ以来もうSNSをやる事は生涯無いだろうなあと思っていた。(現にブログは書いているが)

ところが今になって再開。

なぜ再開したのか?ー

察しの良いお方ならわかるであろう。

そう。 承認欲求と自己顕示欲 である。

すみません、凄い申し訳ないんですけど僕はこの二つの塊というか、擬人化と言っても過言でないドチャクソ人間なんです。おおジーザス!神はどうしてこのような欲求を我らに与えなさったのか。

とはいっても流石に僕も以前から何も学ばなかった訳ではない!絵をupするのはやめほとんどを日記としての文字や現在地で撮った写真を淡々と上げる…まさに普通の使い方をする事にしたのです。

ん?

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ブログと用途変わんねえじゃん。

 

 

 

 

ということでフォローお願いします。

フォロワー皆無です。独り言めっちゃ哀しい。今ならフォロバ100%キャンペーン中です!!!!安いよ安いよ腕から出血大サービスだよ!!!!!

ちょっとメンヘラ臭い感じになってますがグロ画像をあげる予定御座いませんのでよろしければ良しなにどうぞ。

 

 

元気が出てしまった。1月末にどん底に居たことが嘘みたい…ってのは大げさですけど、最悪な元気が普通な元気になった。

なんか普通に外出できるようにもなったし、普通にラリ目の薬もやめている。(かれこれ一ヶ月くらい)ちょっと毎日に刺激が足りなくてこれでいいのかと思うくらいに普通になった。元々こっちが普通の自分なのだ。普通。今までの自分は処方された安定剤を飲む事を頑なに拒んでいた。「そんなもんに手を出したら終わり、それに飲む元気も無い。依存するだけ」と勝手に思い込んでいた。結果として他の薬物に手を出して終わったし依存した訳ですが。勘違いがひっくり返って眠剤や風邪薬で遊ぶ結果になったのは自分だけで良い。元来僕には考えることがあって「安定剤の依存」とか気にする前に「普通の日常」に依存しなければいけないハードルがあったのだ。安定剤を飲む上でようやく日常を送れる弱者なのだが、安定剤の段階をすっ飛ばして日常を送ろうとしていたのが今までの自分。そこはかとない自己嫌悪の中に、ぼんやりとした謎の自信があって自分はそれが「出来る」と確信していた。一種の躁状態だったのかもしれない。こうなってはいけない、自分の非を考えるあまり自分の非なんてないと決め込み何もかもが許せなくなってくる。どうも、思考停止が一番似合うみたいだ。考えすぎると一周回って元の考えが反転する、人間には割とよくある話だ。ちょっとだけマイラリの依存は残ってしまっているがなんとかなりそう。音信不通の親友にもどうにか連絡を取ってみた。向こうがそれを見ているかは分からないし、このまま自然消滅しても一興と考えられる余裕もできた。お店の人と会話もできるから大好きなヒトカラにも行けるようになったし、ほしい物がぽんぽん湯水のように湧き出てくる。お金は湯水のようには湧き出ないけど。絵もかけるようになったしこっそりpixivで公開もするようになった。寒い精神の寒気を耐え抜いた感じだ。まだ病み上がり(笑)状態だけど、春からはしっかりするし完全復帰を目指そうと奮闘している。辛いのに辛くないとか、大丈夫じゃないのに大丈夫とか嘘をつくのは、そろそろやめたいと思う。今の不満はマウスのホイールが上手く回らない事くらいかなあ。

集合写真で焼死体になりたいと思ったことはあるか

抗不安薬効かない結果の産物

☜☜ソレナックス〜〜↑↑↑↑

 

卑屈だけどポートレイト・被写体人物の写真が嫌いだ。あんなもの自分の顔の不細工加減を確認するためのでしかない。記念写真というけど、そうでもしないと記憶に刻めないものなのか、とがっかりする
何かあれば写真を撮る習慣、消えてしまえばいい(特に若い同年代のひと)一緒に燃えたくなる。自分の写真と一緒に。どうしてみんなそんなに平然と写れるのか。笑えない笑えない。ピースとか無理、やめてやめてって思ってるし何が平和じゃヴォケ。なんも面白くねえから。面白くないのに笑えとか無理だから。学校の行事とかで必ず集合写真撮りますよね。毎回泣きそうになる、でもみんなに迷惑かかるからイヤイヤ写る。次が嫌になって引きこもる。まじッッれーわ。今まで絡んできた旧友たちが割と写真撮るタイプの人種で、何かと出かけるときはバシャバシャと音を立てスマホを向けてきたのだった。正直殺したかった、ちょっと目を背けてそういうの無理ですオーラを出したが察してはくれなかった。言わないのが悪いんだから、しょうがないんですけど。昔はまだ今よりは耐性あったけど、今だったら余裕が無いしホントに殴りかかってしまうかもしれない。何が記念だ。後でTwitterにあげて周りに自慢するだけの癖にそんなもののために僕を利用しないでほしいそんなに幸せアピールをしないとやっていけないのか。くっそくっそ悔しい。見るだけで疎外感を、一人だけ除け者にされたような気持ちを覚える。キュウソネコカミの歌に普通に撮ると何故か笑われて結局変顔でしか写れなくなる、みたいな歌詞があったけどほんとにあんな感じだ。

 

そんな僕は変顔でしか写れない

 

 

「はい、撮るよ〜」インカメを向ける

ここでワイワイしてたはずの空気感がガラリと変わり全員がいきなりキメ顔モードに入る

ぼく、そのノリについていけず困惑の面持ち

焦って変顔になる

「HAHAHAお前この顔面白すぎぃピィーヤ(笑)」

「HAHAHA写真写り悪いんだよねェエェ↑↑」

 

 

………

 

 

 

泣  き  た  い

 

 

去年の夏がフラッシュバックしまくる。なんでかっていうと、音楽を聴きまくってたから。

去年夏といえば色々あったけど、とにかく曲を聴いてた。主に邦楽ロックで、カラオケで歌えるバリエーションが大幅に増えた。今はもう聴かなくなってしまったが、稀にシャッフル再生で流れたりすると有り得ないくらい鮮明に去年の夏を思い出す。いつどこでどの状況でどんな時にその曲を聴いていたのか、ほんとに鮮明なんですよこれが。

フラッシュバックが多い僕だが、こんなに呼び起こされるのは初めての事だ。蘇るエアコンの寒気に震え上がるくらいに記憶はハッキリとしている。

これ、音のプルースト効果といったところなんですかね。今は寒いし夏を思うだけで憂鬱になるからやめて欲しい!あの、季節の変わり目にある生暖かい空気みたいのがすごく苦手です。まるでぬるま湯に使ってる感じの、煮え切らない気持ち悪い気候。生温い風が、げんなりする。

夏は虫さえ出なければ大好きだなあ。イベントとかが沢山あって、友達がいたら楽しいよね。(僕は今年の夏も楽しめそうにないが…)

長生きしたとして80回の夏は来るけども、16歳の夏なんてのは一度きりだから、今年こそ彼女でも作ってどうにかして欲しい。自分に。

ネットでは大嫌いを語りがちな僕だが夏の雰囲気は大好きだ。考えるだけで泣きそうになる。花火大会、海、蝉の声、入道雲、冷房、アイス、夏祭り…全部が全部サイコーだ。都会にいると中々味わえないものばかりで辛い。暑さで目覚める午前10時とかも、大好きだ。汗だくで外ではアブラゼミが煩くて、居間に行くと作り置きされたおにぎりが置いてある…って、ぼくなつを意識しすぎているかも。

誰か僕とひたすら夏らしいことをする夏ごっこしてくらはい、と真冬に言ってみたりする。

 

おわり

ボヤけるぼやき

気分が沈む。ズブズブ底なし沼みたいでしんどい。

今日は、2月12日

大好きなバンドがある。知名度が高い訳じゃないけど、中堅くらいで、最近は売れ始めているようで嬉しい。この感覚、子供だから子供みたいなこと言うけど凄い嫉妬もする。元々独占欲が人情じゃないレベルにあるから尚更に。立派な厨二病です。

好きになったもの、全部がそうで苦しい。人も絵も曲も本も、景色や感情さえも自分のだけのものであったらどんなにいいかと思う。沢山の人に愛されてると、自分なんかが愛さなくてもいいんじゃないか。僕だけのものにならないならもう追っかけなくていいんじゃないか。こんな事ばかり考える。

沢山の人から愛される才能を持ってるのが恨めしい。そしてそういうのをあたかも気にしない感性が憎い。彼らは愛され、愛されている。そして愛されている。全部僕にはない。

なんだか最近、好意が一周まわって嫌悪に変わることが増えた気がする。尊敬もする、崇拝までする。彼らは僕の終日死にたい欲求とも戦ってもくれる。事実救われたことも何度もある。しかし何故か憎たらしくなる。妬ましいし疎ましい。ものすごく極端なここだけ話、いっそ居なくなってくれ、とも思う。何故なのか。好きすぎて嫌いになった経験がある人はいるだろうか。いたらぜひ教えて欲しい。

中途半端な好きはやがて嫌いに変貌していく(僕ん中では)。じゃあ、一体誰を心から愛してといるというんだ?そう自分を問い質しまくった結果、3人の人間が上がった。このジャンルも趣味も全く違う3人には1つだけ共通している事があった。どちらも自殺を遂げていたのである。死んだ人は安心できる。この先僕がどうなろうと社会がどうなろうと世界に隕石が落ちようと死んだ人は関係ない。路線変更やキャラ変によるショックを受けることもない。人間は死んだ時、初めて完成できるのだと僕は思う。完成するために日々を積み重ねているんだろうか。

ハウトゥー再会

どうしよう、旧友と再会する約束を取り付けてしまった。お相手は小学校5年生から会ってないAちゃん。数えるとちょうど5年くらい会ってない事になる。
年賀状を送りあっただけかと思ったら、メールが送られてきて、受信時テンションが上がりまくっていた僕は能天気に引き受けてしまった。「春休み中に会おう」という約束をーーー…
ああもうあの時の自分を殺したい。今更合わせる顔もない。喧嘩別れをしたわけでもない。いやむしろ、当時不登校でこっちから連絡しなかったようなろくでなしに会いたがってくれるのはすげぇ嬉しいよ?けどどんな顔をして会えばいいのか。「一時期脱ヒキしたけど再犯して今もヒキやってんだよね〜アハハ〜」とでも言えばいいのか?いやいやいや笑えねえよ。まじでどうすんだよ!普通の人ってどんな話してるの!?どんな服着てんの!?もう今潰れた川谷絵音みたいな髪型しかしてないし「久しぶりー、変わったね!」と言われても「うわあ、全然変わってないね!」と言われても困るんですけど。再会代行サービスがあったら10万くらいでも頼んじゃう。どうすんだよ〜春休み来ちゃうよ〜、てか春休みっていつだよ〜焦ってその場しのぎのメール打っちゃったけど普通にハードル上げちゃったよ〜ンッはァ〜。。
そういやAちゃん演劇部に入ってるって言ってたな。演劇部ね…うん演劇部…すげえよ演劇部とか…憧れるよ…羨ましいよ…演劇見るの大好きだよ…見に行くとか言っちゃったよ、カァッーーーペッ!!!
Aちゃん、イメチェンしてたらどうしよう。超キラッキラな高校生で髪とかくるくるにさせて「チョリッスw」とか言われたらもうその場で舌噛みきって死ぬ自信あります。出来れば僕みたいに冴えないままで、満たされてるようで満たされずに何かを追い求め続けるのに見つからず生きるのに疲れたような顔しててほしい。当時のAちゃんは、何処か僕と似た臭いがする人だったから、神様お願いします。こんなことをこんな所に書いちゃって申し訳ないけど。もし君が何不自由ない青春の日々を送ってるようでも僕は多分辻褄合わせに笑うことしか出来ないと思うから。どうか失望されませんようにそしてどうか失望しませんように…
Aちゃんといえば僕の中でめちゃくちゃ覚えてる記憶がある。ちなみにクラスで2、3番目に仲が良かった。ある日僕んちで仲良く遊んでいると、何故か取っ組み合いの大喧嘩に発展していた。服や髪を引っ張り合い、多分殴りあったりもしてたと思う。大した理由はなくて、なんとなく仲が良すぎて喧嘩をしてしまった、そんな感じ。「いつまで髪引っ張ってんのよ!」というドラマみたいなセリフがいまでもフルボイスで脳内再生が余裕である。結局は偶然部屋に入ってきた親によって仲介され、後日電話によって無事仲直りをした。小学生の単純さは、大人になって渇望した所で少しも手に入らない。何を話してどう笑っていたのか。今の僕には完全に思い出せない。
Aちゃんには他にも謝りたい事かぎょうさんある。ごめん、余裕があったらそう伝えたい。あとこんなゴミクズでも気にかけてくれてありがとうね、これは必ず伝える。