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飽きたら消します

‪生物の中で一番罪深いヤツは最初に地球に降り立った宇宙人か何か

僕が思うに黒歴史をネタにしている内は黒歴史を量産し続けるのだろうな、と思います。そうです自分のことです。こんばんは。

さて、突然ですが質問です。どちらに狂気を感じるでしょうか。シチュエーションは虐殺家の殺人鬼が人を殺したまさにその時であるとします。

1.「イヒヒヒヒヒ!全く人の内蔵を引きずり出すのは最高だぜ〜!!」

2.「え?人を殺しちゃいけないんですか?すみません。」

どちらも総合的な狂気は感じられますが、僕的には後者の方がマジモン感があると考えています。そう、一番恐ろしいのはオカシイ自覚がない人なのです。あのサブカル御用達浅野いにおもゆっておりました、無意識な悪意。これに尽きる。

人間の無意識。僕は、何よりもこれが怖いのである。無意識の氷山を唱えた人…ええと、なんと言ったかな。今ググったらフロイト心理学の一つでした、そうフロイトさん。今回は無意識についてうわ言を述べます。

過去に中退した高校で取っていた授業の一つに現代社会がありました。まあ夜間な事もあってか、始まるのは給食後の19時半くらいで人数も少なく、先生もそれなりに学生達の「堕落」を認めてくれるタイプの人でした。(簡単に言うと授業中の睡眠やスマホいじりを許可していた)

僕はこの授業が好きだった。

クラスの中でも選りすぐりの仲よしな子と2人だけで、他は面識のない奴らばかりでした。知り合い程度のいない、程よい緊張感が大変心地よく感じられました。この授業では教科書の偉人に髭とおちゃらけたセリフを描いて笑い、裏紙の切れ端にうんこを描いて笑い、僕が置き去りにしてきた「中学生のうちに経験しておく然るべき物事」を遅れながら消化させてくれたのです。(少し話がそれますが、世界で一番幸せな瞬間は「授業中に仲いい子とふざけ合ってるのが先生にバレないよう、クスクスと笑いを堪える瞬間」だと思うんです。)

当然僕は甘やかされたらその分甘えるクソみてえな人間でありますので、当時はロクに授業を聞かずに教科書 に載ったザビエルの毛根を植毛させる作業に没頭しておりました。そんな僕が、教えの中で唯一覚えているのが「無意識の氷山」なのです。f:id:STROHEIM:20170324020707j:image

面倒臭いから適当に拾った可愛いペンギン付きの絵を載せておきましょう(このペンギンいらなくね?)

脚色すると「僕らが自分の事を自覚できてるのはほんの一部に過ぎないよ!」とフロイトさんは唱えた訳です。(うろ覚えだから間違ってたらまじごめんそーれ)みなじふんのことを○○系だとか○○好きだと自称しますが、あくまでそれは「自分が自覚できている部分の自我」であって、自分ですら自覚できない無意識の部分が沢山あるんだとかないんだとか。第三者から見た自分と主観的な自分が異なるのはそういう事ですね。意識高い系、という言葉がありますがこの氷山が転覆しちゃった人間の事を呼ぶのかも知れません。

僕はね、この自覚できない部分の自分が許せないんですよ。何か一つ裁けるものがあるならば、無意識を選ぶと思います。ゆくゆく考えれば僕らは無意識の積み重ね、そして集合体であるとも言えます。無意識がない人なんていません。いるとしたら植物人間か葛藤を理由に死を選んだ人ぐらいでしょう。たいていの人はこの「無意識」を容認して生きます。自分を自分でカデゴライズする事で「居場所」を見つけ、腰を据えて安心する。俗に言わなくても「普通の人」ならば難なく成し遂げていることです。情緒不安定な僕ですら「ブロガー」や「オタク」と言った場所を自身に何かしらを設けているのですから。

しかし考え過ぎるとどうでしょう。脳内の温暖化が進み、氷山が溶けだして、終いには陸地がなくなるんですね。さっき言った可愛いペンギンも溺死してしまう。自殺を遂行した人は、思考の熱で氷山を溶かしきってしまって、遂には舐める程の氷も残せず溺れ死んだ人なんじゃないか、そう思います。僕は。自殺した人はすなわち、意識の高さに行き着いた人間なのであーる。サブカルを究極に拗らすと最終的にインドに行き着くってどっかで見たが、僕もそのうちインドに行くのだろうか。

人間を壊れさせるのは想像以上に簡単なのです。別にカップルの前で片方がレイプされている所を見せんでも、そんしーそんしーという音が印象的な賛美歌を聴かせ続けるといったまどろっこしいやり方をせんでもよい。壊したい対象に自身の存在意義を問うて、交流と刺激のない密室に放り込めばいいんです。そうするとどうなるでしょう。なんと70%くらいが勝手に死にます。高台やクレモナロープが無くたって、壁に頭打ちつけて死にます。存在意義だとか宇宙の果てだとかに今んところ、正答はありません。全部が全部誤答でもあり正答でもあります。その矛盾に殺される、それだけの事なのです。全部僕の場合、という話に過ぎませんが。

何ででしょう。今までが暗くてネガティブで、豆苗のような精魂をしていたからなのでしょうか。最近の僕は全てに飽き尽くし、回答を追い求めることにも疲れ、もう面倒臭いからまとめて「死」で解決させるようになりました。言わんこっちゃないですが、大富豪でパリピでウェイな人生を送ろうが虐待され人の顔色を伺う辛い人生を歩もうがターミナル駅は「死」に終着する、それ故僕は「死」に執着する、現時点で導き出した独断と偏見は、そんな感じなのです。(街角で食パン加えた橋本環奈とぶつかれば生きるのタノシ〜〜〜〜〜!!!って感じになってしまうんだろうけど)

いや、なんかもう自分で何書いているかよくわからない。僕はいつも疲れると、少し変な行動をしてしまうんです。やや。変ってなんだ?オラァ言葉をはじめに話した原始人を殺しに行くっぺ。おいそこの猿、お前が会話をしようとしているその心理、承認欲求なんだよクソが!!!

…はーあ20歳になってもこんな事してたらあっさり死ぬと思うわ、マジでさ。やるせない、この言葉がすきです。世界は好きで満たされていた方が、より良くなる。去年精神病院の中で書いたと思われる短編の一文にこう書いてありました。僕もそう思います。

趣旨は変わります。生き物苦手板はご存知でしょうか。そっち系です。その「意識」を確かめたくなったのです。ゴキブリと人間を殺すことが同義だとは、僕は思いません。魚に痛覚はないとも言いますし痛みという感情があるのは人間だけだとも言います。まあ恐らくなんですが、初めにプラケースで密室作って、閉じ込めて出られないようにして、タバコに火をつけて煙でガスで充満、みたいな。暴れて吐いて叫んで倒れて、みたいな。部屋に何もなくなりました。猫を飼っている我が家では、あれ以来扉は開けっ放しなのです。いや、これは夢の話なんだけども。叶うなら、死ぬまでずっと寝ながらボケーっと夢見てたいですよね。今の僕はそう思います。今回の内容は三回ほど書き直しました。なのに、満足はしてません。なんでやねん。